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  • MIKA

行いと結果「カルマの法則」


先日の記事『ヨガの八支則「サティヤ」誠実に生きる』に続き、”なぜ人間の欲は尽きることがないのか”、そんなことについてカルマヨーガの”行いと結果”の法則の側面から、私なりの解釈でまとめてみました。

ヒンドゥー教や仏教の考えにもある「輪廻転生」の概念は、生命は今世では完結せず、死んだ後も肉体から離れ、スピリットは次の生を受け「輪廻転生」を繰り返すという思想。

簡単に言うと”生まれ変わり”。

宗教によっては、生まれからる先が異なり、地球に生を受け身分の高い人間や逆に身分の低い人間になったり、人間以外の動物や虫になったりすることもあると考える宗教もあります。

その由来でもある、仏教以前のバラモン教の思想は、”天界”、”人間”、”畜生”、”餓鬼”、”地獄”の「五趣」、そこから退場仏教の3つの善趣、”天”、”人”、”修羅道”と、3つの悪趣、”畜生”、”餓鬼”、”地獄”の6つの世界に生まれ変わる「六道輪廻」の考えもありました。

その考えに関連して、良い行いをすればよい結果がもたらされ、悪い行いによって悪い結果が生じるという「カルマの法則」日本語で言う「因果応報」があります。

”カルマ”とは、行いや業のことをいい、自分のとった行いは必ず自分に返ってくるというシンプルな仕組み。

それは今世だけに限らず、前世の行いが今世の結果として現れて、今の行為によって次の生存のあり方が決定されるという、輪廻転生の考え方と結びつきました。

ブッダの言葉にもこうあります。

「その報いはわたしいは来ないだろう」とおもって、悪を軽んずるな。

水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされるのである。

愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがてわざわいにみたされる。

「その報いはわたしには来ないであろう」とおもって、善を軽んずるな。

水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされる。

気をつけている人は、水を少しずつでも集めるように善を積むならば、やがて福徳にみたされる。

(引用『ブッダの真理のことば』)

たとえ、今世で受けなかったとしても来世でその結果が返ってくるという、言い換えれば行為の結果からは逃れることはできないということです。

ヒンドゥー教では、過去の行為の結果として肉体が死んだあとの永遠に続く生存は苦しみにほかならず、この輪廻の生存を脱することこそが、今世での目標とされており、ヨーガでいう「サマディ」日本語で悟り、解脱や魂の解放ともいわれます。

インドでは、バラナシなどで死体を火葬してその遺灰をガンジス川に流す風習がありますが、それは輪廻転生の苦しみから解放されて永遠の幸せになると信じられているのです。

この思想は、現代インドにおいてまだまだ根深いカースト制度の残存と深く関わっており支配的な観念です。

人間のもつ「欲」がどこから生まれてくるのかというのを、ヨーガの経典バガヴァッドギータには、「カルマ」から解かれています。

古典ヨーガにもあります「カルマヨーガ」とは、よく奉仕のヨガという使い方をされますが、実際には、起きる、食べる、歩く、話す、寝る、呼吸をすることすら全てがカルマ(行い)です。

人は何かをするときに行いの結果を期待する執着から、恐れや不安感を抱きます。

「私が行いをしている」というエゴ(自我意識)がある以上は、人は行いから解放されモクシャ(自由)には達することはありません。

個と全体の調和を無視して自分自身ののよろこびだけのために欲を満たす者は不徳を積むことにもなります。

そのエゴは”無知”からくるものだといいます。

無知とは、

私は何者なのかがわからない。

私は肉体であり心である。

自分と世界を切り離して、目に見えるものだけを信じて理解し真実を知らないこと。

真実とは、

すでに自分の存在は幸福に満ちていること。

すでに自由であること。

生きる目的をモークシャ(自由)を目的としたとき、真実の知識を理解し、自分の本質を知るための準備として日々のカルマを実践することと説かれています。

目に見えるもを対象とした時の「ラーガ(好き)ドヴェーシャ(嫌い)」という感情で判断することに縛られず、「ダルマ(調和)」を基準とした正しいことを行うことがカルマヨーガであり、結果を求める欲望を捨てて、今自分がやるべきことや求められていることを遂行する行いをダルマ(調和)と一致させます。

こうしてカルマヨーガを手段としてモークシャ(自由)になります。

「因果応報」とは上記に説明しましたように善悪の行いが自分へ行為によって生まれ変わった後に影響し自分に戻る仕組みですが、ヨーガの思想「因果律」とは善悪は関係なく、今おかれている環境や状況、人間関係、自分の能力、健康、物質的なもの自分の周りにあるもの全てにおいて「そこには何か原因・理由があって全ては必然である」という全ての物事は自然法則に基づいているという考え方。

こうしてヨーガの教えや知識は、私の無知さを少しずつ破壊し真実を照らしてくれます。

∞お知らせ∞

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