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  • 執筆者の写真mika

Rishikesh合宿

更新日:2021年11月25日


週末は、「夜ヨガ部 1周年記念企画 ヨガリトリート」をリシケシで過ごしてきました。


天候にも恵まれ、メインのヨガ以外にも滝へのトレッキングや町歩き、もう2度とすることは無いだろうと思っていた7年ぶりくらいのガンジス川のラフティングも含め、今回のメンバーだからこそ愉しめたこともありました。

日頃から慣れ親しんだ仲間であり生徒さんでも、ほんの少し現実から離れて違う土地で過ごすことで、それぞれの個性や本質が垣間見れたことも新鮮でした。

何度訪れても、山とガンジス川に囲まれたリシケシの町には、偉大なる存在と不思議な力を感じます。




ヨーガとは、特別な人が特定の時間に行うものでなく、日々の生活の中に置いて実践するものです。

例えば、ヨガの練習はヨガマットの上でポーズを取ることだけではなく、わざわざヨガの服に着替えなくても普段立っている時や座っている時の姿勢や呼吸を意識すること。

仕事や家事、食事をしたり誰かの話を聞いたり何かをしている時、まだ何もしていないときでこそ、そこに意識が向いているか、またその時の感情や心の動きを観察すること。


これら日常のヨーガは、日々の練習の積み重ね、マットの上で体得したことや哲学の知識が生かされます。



アーサナ、呼吸、瞑想、哲学、全てを含めたヨーガを始めるきっかけや理由は人によって様々ですが、ヨーガスートラにも「ヨーガとは、心の作用(働き)を止滅すること」がヨーガの意味する目的とあります。


人間である以上、心の動きを完全に止めることはできませんが、心の波紋を鎮める事はできます。

ここでいう波紋とは、乱れた心、心のアンバランスや不安定さのこと。


「諸行無常」 という言葉が指し示すように、自然は移変り、人も世の中も形あるものから見えないもの全ては変動、変容し続けています。


人の心も常に動き続けています。


人間は、不安や心配から自分を守るために「私(自分)」という自我によって肉体・脳・心を支配されています。

心の構造を解くと、外側で起きている事へ反応し、知性が宿る思考が動き物事を考えたり判断力が働きます。


そこに心が奪われ模倣されることで余分な思考が働き、結果ものごとの本質や正しさは見失われてしまいます。


心は自分自身を写し出し、目に映る現実は心の在り方でもあります。

自我=「私」が真実であり本質であるという誤解は物質世界に縛られ、過剰な欲や苦しみを生みます。


波立っている湖に映る自分の姿は、内面の自分の姿です。

心の波立ちを鎮めることができれば、 物や外見など常に変化し続ける外の世界には真の幸福がないことに気付き、これ以上貪欲に幸せを求める必要もなくなります。


そのために、私たちはヨーガの智慧をツールとして実践しています。


ヨーガの8支則のうち1・2は日常に置いての心得は、最も重要な軸となります。


①「ヤマ」=日常で行ってはいけない5つの心得

・アヒムサ(Ahimsa)/非暴力、不殺生 ・サティヤ(Satya)/嘘をつかないこと ・アスティヤ(Asteya)/不盗 ・ブラフマチャリヤ(Brahmacharya)/禁欲 ・アパリグラハ(Aparigraha)/不貪


② ニヤマ(Niyama)/勧戒 

・シャウチャ(Saucha)/清浄

・サントーシャ(Santosha)/満足、知足

・タパス(Tapas)/苦行、自制

・スヴァディアーヤ(Svadhyaya)/読誦、学習、向上心

・イーシュワラ・プラニダーナ(Ishvarapranidhana)/自在神祈念、信仰




それは、

美しいアーサナ(ポーズ)を取ることに執着することではなく、

過剰な練習で身体を痛めつける事でもなく、

ヨーガの哲学の知識を頭に詰め込むことでもなく、


まずは、日常での心得を実践してみて下さい。


全てのヨーガの実践者が、出家僧になり解脱を目指すことがゴールではありません。

今のあなたの行い一つ一つに意識を向けて、言葉や行動、また身体の感覚や心に繊細になってみてください。

真の幸福は外へ求めるものではなく、すでに在ることに気付き、どこに身を置いても心を平穏にすることがヨーガの目的であり、幸せへの道なのです。


∞お知らせ∞






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