誰かに認められたい
理解してほしい
という外への欲求。
あれが食べたい
これが欲しい
という外へ向かう欲望。
その“欲”を満たすために
きれいに着飾ったり
物を買ったり…
一時的な欲は満たされても
結果、それは持続することなく振り出しに戻ります。
そして満たされない心は、他人への批判や自己嫌悪として更に自身を苦しめることになります。
サーンキャ哲学では、心(=チッタ)の仕組みを3つに分けて説明しています。
①マナス
五感を通した反応。
例えば美味しそう匂いがした時に、ふっとそこに目を向ける行為。
②ブッディ
判断する知性。
その匂いに対して「良いに匂いだ!」「これはココナッツカレーだ!」という過去の食べたという経験によって「これは◯◯である」と良い悪いも含め対象物を認識する側面。
③アハンカーラ
自我意識。エゴともいう。
「お腹がすいた(わたしは)食べたい。」と対象物を定義すること。
ここには。人間である「わたし」という概念の持つ理性の働きによって他のものとを区別することで成り立っています。
この3つが一つとなり"心”の定義と説いています。
これらは日常的に起こっている心の動きであり、全ては五感でキャッチした「わたし」という個体が頭(知性)で判断し、感情がそこに影響されて心が乱れます。
心が判断し、その心に「嬉しい・悲しい・楽しい・苦しい」など感情が左右されるもととなっているのが”アハンカーラ”であり、感情や感覚を格納し心の方向性や行動までも決めてしまいます。
心配や不安、誰かと比較したり人を妬み批判することは結局自分への苦しみとなってかえってきます。
それらのほとんどの苦しみはアハンカーラに支配されているのが原因なのですね。
そのアハンカーラから解放されることによって、心の安定をはかります。
では、どうすればアハンカーラから解放されるのでしょうか。
物事は全て両極であることを理解しましょう。
良い悪い。
美しい醜い。
月と太陽。
陰と陽。
好きとか嫌いとか、この2つを自己の基準で判断し両極を行き来すると心は乱れてしまいます。
かといって、人間の社会で生きている以上、この心を消去したりなかったことにすることはできません。
そもそも「アハンカーラ」の「アハン(アハム)」とは「わたし」、「カーラ」とは「作る道具」という意味を持ちます。
ここでいう「わたし」という個体は、アハンカーラからの創造物であり、「わたし」を中心に記憶や思考によって心がコントロールされています。
なので、逆にそのわたしの中の内側の道具を利用し「わたし」と仲良くすれば、想いどおりにコントロールすることができます。
記憶や思考を消し去るということではなく、使い方次第ということです。
そして大切なのは、いつでも両極の中心のところに重心を置くこと。
重心からズレたとしても、いつでも戻ってそこから傍観しあるままを受け容れることが心の静けさにも繋がります。
偏らない
拘らない
外の世界に影響されない
そんなバランスの取れた心。
それは身体の重心も同じように、こころの重心を作り安定をはかる為に私たちはヨガを通してアサナという身体を使った練習をしています。
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