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知識のヨガから真我に気付く

執筆者の写真: mikamika

コロナウィルスの状況が日々刻々と変わり、それぞれの考え方や対応もさまざまですが、

VYOMでは、ヨガを必要としてくれる方がいる限りは出来るだけお応えしたいという想いで通常どおりクラスを開講しております。 とはいえ、今後も状況次第では必要に応じて適宜適切な対応をさせていただくため、変動する可能性がありますが、その都度お知らせします。

どうぞ、ご理解のほど宜しくします。


社会の心配や不安が募る中、そんな時期だからこそヨガで養った精神力で心穏やかに過ごしたいと思います。

また飛び交う情報に過敏になりすぎて心が翻弄されることなく平常心を保ちながら、この状況とどう向き合ってくかを冷静に判断していきます。



ヨガの教えは、人間として生きていく上で人生や行動の指針になる教えが説かれており、日々の起きる出来事や実生活において、心を整え正しい判断や選択をするために生かされます。

得た知識は智慧に昇華させ、本来の自分(真我)への気づき、人格の成長、心と精神、魂を磨くための一つのツールです。

RYT200平日に続き週末コースが終わり、早くも1週間が経ちました。 余韻に浸りつつもこれまでの日々を振り返り、受講生から学んだことをじっくり噛みしめながら消化しています。 最終日、皆さんが今の段階でどの程度ヨガを理解されているかを試験形式で確認させていただきます。

個々の答えなので正解も不正解もありません。 その中にあった心打たれ感動した言葉の一部をここで紹介させていただきます。


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(以下、RYT200 第8期修了生(インド駐在)の言葉より抜粋)


『ジニャーナヨガ(知識のヨガ)と真我について』 真我とは、

生まれながらの純粋な自分(魂)。 人はこれを5つの鞘「食物・正気・意思・理知・歓喜」

で包み守っている。


この5つの鞘で健全に保つことで

自分(魂)を平安に守ることができる。


人は生後、様々な後天的な事象、環境などにより

身体、感情、性格の質が異なって形成されているように見えるが

民族性、気質などを一つずつ取り払い

自分らしさを象るものを一つ一つ剥がしていくことで

最後には真我だけが残される。


ヨガで「本当の私は何者か」

という問いに「真我である」

と言える道を極めていくもの。




 

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私がヨガを学び始めた頃、まだまだ肉体への執着が強く出ておりストイックに練習に励む日々の中でこのような言葉が自ら出てきたでしょうか。



情報により誤った知識や誤解。

経験により植え付けられた思いこみや

それが創り出す偽り纏った自分像。


これらの偽りや無知さは生きてく上での苦しみの原因です。

それらを剥がしていく作業にも苦しさを伴いますが、

自分の本質に気付くことで

それらの苦しさからは解放され、

歓喜と幸福に満ちた真我だけが残ります。

ゴールに向かってそれぞれに成長段階があります。 今ではそれを理解できますが、気持ちだけが焦り結果として遠回りしたこともあります。 それでも、ヨガはいつでも私の心を平穏に導いてくれる道標でありグル(師)でもあります。


ヨガの知識と実践を結びつけ、

いつも頭で考えること、心で感じること、言動を一致させ「誠実に生きること」は、

身体、精神、魂を一つにし、真我への気付きの近道ではないでしょうか。




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